サッカーには100年以上の歴史があります。
この記事ではサッカーの歴史やその過程で起こってきたフォーメーションの変化、または戦い方(戦術)の進化について解説していきます。
はじめに
基本的にサッカーの戦術だったり、フォーメーションっていうのはうまくいってる他のチームを「パクったり」、逆に自分達の戦い方が他のチームに「パクられたり」っていうことの繰り返しです。
そのため、サッカーの戦術というものはその時代ごとでトレンドが存在します。
そのトレンドを知ることがサッカーの歴史を知る一番の近道となります。
サッカーの戦術やシステム(フォーメーション)はその当時にうまくいったチームのトレンドに合わせて微妙に変化していきました。
実際はかなり長いスパンで観察していかないとその変化に気付けません。
現在進行形で起きている現象を整理しながら、現状を理解することはとても難しいことです。
ただ、これまでの歴史を振り返ることによって、これから先にどういった変化が起こっていくのか?とか、今はどういう状態にあるのか?という部分を理解する手助けになったりもします。
だからこそ、サッカーの歴史を知ることに意味があるわけですね。
サッカーとラグビーは親戚
イングランド生まれ
サッカー発祥の地はイングランド、、、っていうのは結構有名な話です。
いつ頃からサッカーが本格的に始まったのかは不明ですが、1860年代にFA(フットボールアソシエーション:サッカー協会)が設立されて、それまでバラバラだったサッカールールの統一化が図られるようになっています。
この当時のサッカーは相手を吹っ飛ばすタックルとか「ハッキング(足のすねを蹴って撃退する行為)」が当たり前のようにあったそうで、男らしさを競い合うゲームという毛色が強かったそうです。
ラグビーと分裂
FAでの統一化を図る会議ではこのハッキングを入れる・入れないでかなりもめたんですが、最終的には入れない(現在のルール)ことになりました。
そして、当然ながらこれに反対する側も当時はかなりの勢力がいたわけなんですが、FAの決定に納得できずに脱退したメンバーたちが、この後にラグビー協会を設立することになるわけなんです。
ちなみにこの時にはまだ「オフサイド」のルールは適用されていませんでした。
当初のフォーメーション
FWが7人
サッカー協会が設立された当時の主流は「2-1-7」という2バックシステムのフォーメーションでした。
「FW7人でバック2人って、、、どうやって守んねん!!」って感じですが、そもそもこの当時は守備に対する意識がほぼなかったようで、ホントに「点を奪ってなんぼ」という勝負だったようです。
ちなみにプレッシングとかポゼッションとかそういう概念すらもまったくありませんでしたね。
キック&ラッシュ
なかなかこの時のサッカーをイメージするのは正直難しいのですが、とりあえずロングボール主体で戦っていたようです。
後ろの選手がロングボールを蹴って、いかに前の選手が追いつけるか?といった感じですね。
そして↑にも書いたように、やっぱりフィジカルコンタクトもかなり激しかったようです。
(当たり前なんですがケガ人はよく出たそうです)
プレミアリーグにはその名残がある
球際の激しさはサッカーを楽しむ一つの要素であるわけなんですが、やっぱり選手の寿命はかなり短くなってしまいます。
若い才能を潰すことにもなりかねない、、、という判断があったのかどうかはわかりませんが、歴史を重ねるにつれて選手を保護しようとする動きがどんどん進んでいきます。
(ルールとしてはこれから徐々に規制がかかるようになっています)
まあ、プレミアリーグの特徴として「強いフィジカル、速いスピード、そしてポゼッションにこだわるチームが少ない(ロングボールが多い)」っていうのは、こういった背景が根強く残っているから、、、なんですが、そのプレミアリーグでも選手保護の声はどんどん大きくなってきてますね。
ディフェンスの変化
オフサイドルール
サッカー協会が誕生したころにはオフサイドのルールは存在しませんでしたが、1920年代に「オフサイド」のルールが適用されるようになります。
オフサイドルール誕生の経緯は不明なんですが、その変化に併せてフォーメーションの方にも変化がでるようになりました。
ディフェンダーの数は従来の2バック⇒3バック、そしてフォワードは5人まで減ることになります。
(3-2-5って感じの並びになってます)
その当時のフォーメーションは「WMシステム」っていう風に呼ばれていたそうです。
WMシステム
今風にいうと3-2-2-3って感じになりますかね。
意外と今のフォーメーションにあってもおかしくない形にも見えます。
ただ、この当時はチームの戦い方として、まだかなり”前がかり”なのでフォワードの下の二人も「インサイドフォワード」っていう風に呼ばれてました。
そもそも連動して守備をするという意識があまりありませんでしたし、配置で完全に役割を分担していて「守るやつは守る、攻める奴は攻める」って感じのサッカーを展開していたそうです。
しかし、当時としてはこのシステムがかなり画期的だったわけです。
だって、どう考えてもこっちの方がバランスいいですもんね。
そのため、これから一気に世界に広まっていくことになります。
そして、ここから4バックが登場することになります。
強かったブラジル
4バックの登場
3バックが登場してから、約30年間はWMシステムのフォーメーションが主流でした。
そしてこの流れに変化が表れるのが1950年代となっています。
ブラジルは1958年のワールドカップで初優勝したわけなんですが、、、
その時に披露したフォーメーションが4バックシステムです。
(実はゾーンディフェンスという考え方もこの時に初めて活用されたという話もあります)
それは4-2-4というシステムで、当時としてはかなり斬新なフォーメーションとなっています。
ペレがいた
ちなみにその時のブラジル代表の前線の4枚はガリンシャ、ババ、ペレ、ザガロで、かなり強力なアタックラインになっていましたね。
(↓のおっさんはサッカーの神様ペレ)
とはいえ、今の時代とは違い、4バックといってもこの時はサイドバックの攻撃参加なんてほぼありません。
それに全体的な守備の連係もそこまであったわけではありません。
ブラジルの優勝によってこのシステムが徐々に世界中へ浸透するようになりますが、ここからはサッカーの考え方自体に変化が表れるようになります。
カテナチオ
イタリアサッカー
カテナチオはイタリア語で、かんぬき とか 門を閉める錠 とか、そういった意味があります。
イタリアサッカーにカテナチオという伝統があるっていうのは結構有名な話であり、”鉄壁の守備”の代名詞みたいなものになっちゃってます。
そしてそのカテナチオが登場するのが1960年代からとなります。
今思えば割と歴史がある考え方ですよね。
守備意識の高まり
サッカー発足当初から徐々に攻撃意識⇒守備意識という感じで考え方がシフトしてきましたが、実はここでその守備意識がマックスまで高まることとなります。
ちなみにこの辺りから「リベロ」っていうポジションも登場します。
実際のところはリベロというより「スィーパー(掃除人)」って意味合いの方がはるかに強いんですけどね。
基本的に相手のアタックラインに対して、こちらのディフェンスラインがマンマークで対応する場合にその後ろにリベロが控えているイメージです。
自チームが守備時の時には必ず数的優位が作れるようにしたわけなんですが、これが結構インパクトのあるシステムだったみたいです。
ミランとインテル
そして、カテナチオが最初に威力を発揮したのは代表チームではなく、イタリアのあるクラブチームでした。
チャンピオンズリーグの前身であるチャンピオンズカップの62/63シーズンにACミランが初優勝、そしてその翌年から翌々年にかけてインテルが連覇をすることになります。
これらのチームがカテナチオを駆使して、世界の舞台で結果を残していったわけです。
カテナチオとは?
カテナチオというのは現在で言うところの堅守速攻の戦い方になります。
今や、どんなチームでもこの戦い方を駆使していると言っても間違いではないメジャーな戦術なんですが、その当時は画期的なアイディアだったようです。
サッカーは得点が「奪いにくく・失点しにくい」特徴がありますから、カテナチオという戦術はかなり合理的な考え方であるわけです。
イタリア人と合理性って、なんかあまり関係がないような気もしますけどね(笑)
(個人的にはめっちゃルーズなイメージがありますね)
発想の転換
攻撃するリベロ
カテナチオの登場もそうですが、それ以前からチームとしての守備意識はかなり高くなっていきました。
そして、当時の守備戦術というのは「マンマーク」が基本だったわけです。
どれだけ強いチームであっても相手にマンマークでがっつり守備をされるとなかなかボールをキープできませんし、チームの攻撃もうまくいきません。
そういった状況を打開するために登場するのが「攻撃するリベロ」です。
1970年代から出てくるのですが、それがドイツの有名な「フランツ・ベッケンバウアー」です。
フリーでボールをさばくために
攻撃するリベロって、ちょっと現代の感覚だとわかりにくいかと思います。
(まあ、CBが積極的に攻撃参加するようなイメージにはなりますかね)
まず、自チームが攻撃時の最後尾にいるリベロには相手のマンマークが基本的につきません。
そして、そのリベロが攻撃参加するのために前線へ上がっていったなら、ほぼほぼフリーの状態でボールに触れることができます。
リベロの条件
つまり、そのリベロが
-
ボールをキープできてドリブルでボールを運べる
かつ視野が広くてパスの配給がうまい
そしてミドルレンジからシュートも狙える
となったら、自分達の攻撃はかなりスムーズに展開できるようになります。
(それと同時にこれは相手にとってかなりの脅威となりますね)
足元の技術に優れた選手が”あえて”リベロというポジションをとることにより、ゲームメイクというビルドアップを「スムーズにしよう」というアイディアから生まれた戦い方です。
カテナチオとは真逆
フォーメーション的にはリベロを置いているということでカテナチオとものすごく似ることになりますが、やっているサッカーや考え方はまったく違ってきます。
むしろそれぞれが対局に位置しているものであり、攻撃するリベロがいるというのはチームのスタンスとしてはかなり攻撃的になりますし、後にオランダで有名になった「トータルフットボール」と相通ずるところがあります。
サッカーの歴史的にベッケンバウアーのような攻撃参加するリベロが出現するようになってから、実はサイドバックも当たり前のように攻撃参加するようになります。
その代わりにサイドバックが攻撃参加すると自陣まで戻ってくるのに時間がかかりますし、その間に生まれたスペースっていうのは代わりの選手が埋める必要が出てきます。
チームの連動
そういった戦い方の変化もあり、、、
この時代から”全員で連動してサッカーをする”という考え方が、世の中に出現するようになります。
そして、その中でとても有名で現代サッカーに最も影響を与えたと言われているのが、クライフがいたオランダ代表のサッカースタイルなんです。
トータルフットボール
オランダが魅せた
1974年のワールドカップで準優勝したオランダがとった戦術が「トータルフットボール」と言われ、後のバルササッカーに多大なる影響を与えます。
フォーメーションっていう”配置(ポジション)”に関係なく、ピッチ内を選手たちが縦横無尽に駆け巡り、「全員攻撃・全員守備」で戦うスタイルです。
そしてその戦い方の特徴としては、攻撃の時の細かいパスワークと守備時の速いプレッシングです。
クライフがいたが
実はW杯で結果を残したオランダ代表には突出してポテンシャルの高い選手、、、っていうのはほとんどいませんでした。
オランダの中心選手はもちろんクライフでして彼の能力は相当高かったんですが、それ以外の選手というのはそこまですごい選手ではなかったんです。
そういった中でもオランダがワールドカップで結果を残すことができたのは「チームプレーとしてのパスワーク・プレッシング」がかなりの威力を発揮したからに他なりません。
今でこそ、プレッシングという言葉が当たり前のように使われるようになっていますが、この言葉をメジャーにするきっかけを作ったのはオランダ代表だったわけです。
ハイプレスの登場
オランダの衝撃から
トータルフットボールの特徴であったのがパスワークとプレッシングなんですが「パスワークは重視せず、プレッシングのみに特化したチーム」というのが、同じ時期に出てくることになります。
それが当時ACミランを率いていたサッキ監督が用いた戦術になります。
つまりここからいわゆる「ハイプレス」が登場することになります。
ディフェンスラインを全体的に高くし、かつ守備陣形を非常にコンパクトに保つ。
そして、チーム全体で連動したプレッシングを仕掛ける。
攻撃的な守備
もともと(ゴールを守るための)守備の考え方であった”プレッシング”というものを進化させて、 積極的にボールを奪いに行く攻撃的なチームを作った のがサッキであり、ACミランというチームでした。
サッキ就任後のACミランはセリエAを制覇、そいてその翌年・翌々年のチャンピオンズカップを制覇しています。
ドリームチーム
クライフは?
一方、現役引退後のクライフはアヤックスを経て、リーガのバルセロナを率いるようになります。
サッキがプレッシングに特化したチーム作りをしたのに対し、クライフはパスワークに特化したチーム作りを目指しました。
つまり、一般的にいう”ポゼッションサッカー”の登場がここであり「ボールを保持している間は相手に攻撃されることはない」というのが、この戦い方の強みになります。
それにもちろん、攻撃力もありました。
バルセロナの成功
クライフ率いるバルサは90/91シーズンにリーグ優勝し、そこから4シーズン連続でリーグ優勝するわけなんですが、その功績を称えてこの当時のバルセロナは「ドリームチーム」と呼ばれるようになります。
まあ、ロマーリオ、後にバルサの監督になるグアルディオラ、ロナルド・クーマン、ラウドルップなどの選手がいましたね。
現代サッカーの始まり
ハイプレスとパスワーク
サッキのハイプレス、クライフのパスワーク、ほぼ同時期に登場した”2つの対極にあるスタイル”が登場したことで現代サッカーというものが始まっていくことになります。
特にACミランのハイプレスはその後にいろんなチームが模倣したり、改良したりしていきます。
今の日本代表の戦い方だってその考え方を参考にしていますし、チリ代表やクロップが率いているリバプールとか、ユベントスなんかも元をたどれば同じです。
パスワークは真似できない
一方でパスワークを模倣したり、改良したりするチームはあまり表れることはなかったですね。
(そもそも真似するのが難しいですからね)
こっちは後にその監督となったグアルディオラ率いるバルセロナがその進化形となり、完成形となるサッカースタイルを実現することになっていきます。
クライフの思想を現実のものとし、そのうえで数々の功績を残してきたのがジョゼップ・グアルディオラ監督という人です。
だからこそ、彼に対する賞賛の声は止みません。
そして、そのグアルディオラ監督は現在マンチェスター・シティを率いております。
まだまだ進化の途中
彼のサッカー戦術もまだまだ変化(進化)しています。
そして、それに対抗するためにプレッシング戦術もより強力になっていっています。
これからどういった戦い方の変化や新たな戦術が生まれてくるのかは予想できません。
しかし、その未知の領域こそサッカーの醍醐味なのかもしれませんね、、、
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